5月2日〜8日のオーストリアのニュース



5月2日(月)

     国外ニュース

ビン ラーディンの抹殺は意図的だったか?

米国特殊部隊の兵士が、日曜日夜にアル カーイダ頭目ウサーマ 
ビン ラーディンをパキスタンで殺害したが、報道によれば、兵士
たちはこれに狙った命令を受けとっていた。CNNテレヴィによれ
ば、この作戦行動は「殺害が任務」であった。ここの行動自体は、
数ヶ月前から厳重な秘密態勢で、準備が勧められていた。ビン ラ
ーディンを見つけ出すまでに、数年がかりであった。ただし、急進
派の指導者である彼の潜伏している場所については疑わしい場所は
わずかしかなかった。

     国内ニュース

動物保護裁判では「犯罪組織条項」の改正を要求する声

長年にわたる捜査を終え、14カ月前から裁判が続いていた、ウィ
ーン ノイシュタット州裁判所では月曜日、13人の活動家が、
278a条項に基づき、犯罪組織に属していた事はない、との判決を
受けた。法的な効力を持たないこの判決への反応として、被告人お
よび政治家の側から「犯罪組織条項」への批判が強まっている。法
務省内部でも、「真剣に改正」を検討している、と第一審の被告バ
ルッフが、担当部局の部長ピルナツェックとの話し合いの後で述べ
た。




5月3日(火)

     国外ニュース

ビン ラーディンの死でアフガニスタンでの軍事作戦は完了か?

ウサーマ ビン ラーディンの殺害で、アフガニスタンでの諸外国
による軍事活動が継続するかどうかには、大きな疑問符がつけられ
ている。米国大統領オバマは、アル カーイダの首領の死を、米軍
を計画より早くヒンドゥクシから撤退させる好機として利用するこ
とが可能であり、9月11日の攻撃後の作戦行動は完了した、と見な
すこともできる、またこの戦争はいずれにせよ絶望的な作戦行動で
ある、との見方を専門家も米国の政治家も取っている。ヨーロッパ
でも、早期撤兵を求める声が強まっている。しかし活動を指揮する
NATOは、予定通り2014年まで活動を続ける方針である。

     国内ニュース

ギュル「オーストリアはトルコのEU加盟が利益」

トルコがEUに加盟すれば、オーストリアはそこから大きな利益が得
られる、とトルコ大統領アブドゥッラー ギュルは訪問先のウィー
ンで述べ、トルコで営業するオーストリア企業の数が増加している
ことと、オーストリア人観光客の数が増加していることを指摘し
た。首相ウェルナー ファイマン(社会民主党)は、トルコがEUに
加盟する場合には、国民投票が義務づけられる、と述べた。外務大
臣ミヒャエル シュピンデレガー(国民党)は、EU加盟ではなく、
必要に応じた協力関係に賛成だ、と述べた。




5月4日(水)

     国外ニュース

「国内の安全の危機」ビン ラーディンの写真は公開されない

米国は殺害されたアル カーイダ首領ビン ラーディンの写真を公
開しない方針である。大統領オバマは水曜日に、写真を公開すれば
国内に安全面での危険を招くだろう、と述べた。これより前に多く
の米国の政治家とCIAの長官は、ビン ラーディンの死についてさ
まざまな観測が流れていることを受け、映像を報道機関に渡すこと
に賛成していた。しかしオバマの広報は、この映像は「残酷」であ
ると述べていた。

     国内ニュース

ダラボスは「ネット防衛」部隊を1千6百人規模にする計画

国防省は将来、国防で新たな道を歩む方針である。古典的な軍事動
員を離れて、重点を「ネット犯罪、インターネットを用いた攻撃お
よび悪用」に置くことになる、と「ニューズ」誌は同省の書簡から
引用している。それによれば、国防大臣ダラボス(社会民主党)
は、「ネット防衛」に専従する部隊を計画しており、この歩合では
約1千6百人のコンピューター技術専門家が、インターネット上の戦
争に専門的に取り組むことになる。




5月5日(木)

     国外ニュース

ビン ラーディン殺害の謎はますます深まる

テロ組織の首領ビン ラーディンがパキスタンで殺された38分間に
は、ますます多くの疑問符がつけられる。米国は木曜日に、この出
来事の詳細を重要な点で再び修正しなければならなかった。米国政
府は既に、ビン ラーディン自信が武器を持っていなかったことを
認めていたが、彼の護衛もほとんど抵抗しなかったことを発表し
た。ビン ラーディンの伝令が発砲しただけであった。「長い銃撃
戦」は行なわれず、逆であった。「ニュー ヨーク タイムズ」紙
によれば、戦闘は「極めて一方的」であった。

     国内ニュース

大学予算でテヒテルレと大学学長の間で初めて意見の不一致

カールハインツ テヒテルレ(国民党)が、インスブルック大学の
学長から、科学大臣に転身してから2週間、彼と各大学の学長の間
で初めて不協和音が聞こえてきた。テヒテルレは水曜日のテレヴィ
番組で、大学が来年度の具体的な赤字に関する情報を説明するが、
これは「あまり説得力がある」わけではないので、自分は大学会議
から叱責を受けた、と述べた。大学会議議長ハンス ズュンケル
は、テヒテルレのこの発言は「全く受入れられるものではなく」、
学長として自分は毎年3億オイロの追加の資金を求めた、と述べ
た。




5月6日(金)

     国外ニュース

石油価格はあいかわらず乱高下

原材料価格は前例のないほど乱高下して、今週の取引を終えた。特
に大きな影響を受けたのは、前日に大混乱の末売られた後、金曜日
にも当初は大きく値下がりした石油価格である。価格下落の遠因と
しては、最近の米国の京期を示す情報について、性急な観測が流れ
たことがある。危機に揺れる米国の労働市場が回復する兆しを見せ
たため、先日原材料価格市場が安堵したばかりであった。

     国内ニュース

フェクターは税制改革計画を提案

大蔵大臣マリーア フェクター(国民党)は、税制改革計画を呈示
した。複数の日刊紙がさまざまなインタヴューを行なったが、その
中で彼女は、中間層の負担軽減を行なうと予告し、社会民主党側が
求めている財産税の導入を国民党は拒否する、と明言した。副首相
ミヒャエル シュピンデレガー(国民党)は、現時点での税制改革
は不可能であると述べたが、フェクターは減税は今回の任期中に行
なう可能性を否定しなかったが、おそらくは2013年に予定されてい
る次回選挙のあとになるだろう、と述べた。「磁界選挙前までに減
税案を練り上げるつもりである。国会で過半数を得た場合には、減
税は実現可能である」と複数の新聞に述べた。




5月7日(土)

     国外ニュース

スコットランド国民党勝利 スコットランドは独立を求める

左派のスコットランド国民党SNPは木曜日の地方選挙で、地滑り的
な勝利を収めたが、予期せぬ影響が英国全体に及ぶ可能性がある。
地方議会で過半数を得た独立派の同党は、スコットランド独立に関
する住民投票を2014年あるいは15年に行なう方針である。英国首
相キャメロンは、英国の統一を全力をあえて守るつもりだ、と予告
した。ただしスコットランド人の過半数が、分離独立に賛成するか
どうかが、そもそも不明である。特に経済的にはこれは微妙な問題
である。

     国内ニュース

ヒトラー政権下のドイツの降伏の記念式典

ヒトラー政権下のドイツの降伏66周年を記念して、学生組合が式典
と行進を行なう。国際解放式典は日曜日、オーバーエスターライヒ
州の元強制収容所マオトハオセンで行なわれる。ウィーンの英雄広
場では、ウィーン団体連合WKRが、毎年恒例の死者の追悼式を行な
う。この式典では自由党党首ハインツ・クリスティアン シュトラ
ーヒェが演説を行なう。これに対抗するデモも行なわれる予定であ
る。国民評議会議長バルバラ プラマー(社会民主党)、新内務大
臣ヨハナ ミクル・ライトナー(国民党)などの政界要人は、マオ
トハオセンの解放式典を支持している。諸外国から多くの賓客が訪
れる記念集会は、朝の礼拝で始まり、アッペル広場を通る記念行進
で終了する。




5月8日(日)

     国外ニュース

ミシシッピで数百年に一度の洪水に供え準備

ミシシッピ川沿いの居住者数千人が、大規模な洪水被害に向けて準
備を進めている。米国南部を巨大な竜巻が襲ってからほぼ1週間、
イリノイ州からルイジアナ州にかけてのこの地域の人々は、百年に
一度の高水にさらされる危険が出ている。数日前から切れ目なくど
しゃぶりが続いたことを受け、米国で最も長いミシシッピ川の水位
は南部へ向かって上昇し、多くの村落あるいは野原であふれてい
る。洪水の被害を食い止めるために、すでに2つの堤防が爆破され
た。大統領バラック オバマは、被災した各所を被災地域と宣言し
た。

     国内ニュース

「死者の追悼」に激しい抗議

学生組合WKRが激しい抗議をする中、ヒトラー政権下のドイツが降
伏したことを記念して、「死者の追悼」が英雄広場で挙行された。
7百人ほどがこの催しに反対してデモを行なった。一方、国民評議
会議長プラマー(社会民主党)や内務大臣ミクル・ライトナー(国
民党)は、マオトハオセン元強制収容所の解放式典に出席した。
2時間かけてアッペル広場から元ナチの収容所まで行進したが、各
州の代表団も参加した。66年前に解放された元収容者も、これには
参加した。当局の発表によれば、約7千人が参加し、いくつかの青
年組織の代表も含まれており、彼らは「決して繰り返さない」「決
して忘れない」との約束を強調した。またニーダーエスターライヒ
州のホーホウォルカースドルフでも、週末に式典が行なわれた。ブ
ックリンゲン森のこの町は、「共和国の発祥の地」を自称してい
る。というのは1945年で、ここでオーストリアはソ連軍と交渉を
行なったためである。




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